プロフィール

当ブログに遊びに来ていただき、
誠にありがとうございます。<(_ _)>

本記事はプロフィールと題し、ワタクシの失敗だらけの人生をふりかえる内容となっております。やすすのポンコツっぷりに興味のある方は、お付き合いいただければ幸いです。

判断軸は楽しめるかが9割

遊んでたら賢者になれるんでしょ!そんな幻想に生き続けた結果、「会社員」→「ニート」→「派遣社員」→「フリーランス」→「会社員」と、一周回って40歳で会社員に戻ることになりました。

やすす

いろいろとズレてます…

やすすの経歴

ざっと経歴をまとめると…

  • 幼少期はゲーム大好きっ子
  • 高校は進学校だけどサボって1浪
  • 大学は関関同立だけど遊んで1留
  • 新卒で最大手SIerだけど社畜
  • ブロガーになったけどほぼニート
  • 派遣で末端SIerで働くも夜勤で無理ゲー
  • アフィリエイターになるも安定せず
  • 一周回って会社員に戻る ← Now

こんな感じです。

基本的な行動傾向は、楽しそう、面白そう、興味あるで突っ込んでいき、つまらないとすぐやめます。

また、夏休みの宿題をはじめ、受験や就活などのやらなければならないことは、短期間で一気に片付けるタイプです。

幼少期

とにかくゲームが好きでした。

誕生日にファミコンを買ってもらって、そこからどハマり。最初に買ってもらったソフトが確か「マリオ」と「F1レース」、そして「西遊記」だったかなぁ。

やすす

みなさん「元祖西遊記スーパーモンキー大冒険」ってご存知ですかね。これがまた超がつくほどのク◯ゲーでして、思い出すと笑えます。

元祖西遊記スーパーモンキー大冒険

ゲーム内にはまったくと言って良いほどヒントが出てこず、次の目的地・目標は何なのかが分からない状況で一行を操作していかなければならない。大陸間の移動などにはワープゾーンを利用するが、そのワープゾーンの場所は画面に表示されないので手探りで探さなければならない

出典:ウィキペディア(Wikipedia)

プレイ動画を見つけました。

そんなやすす少年は、ファミコンをやりすぎて全く勉強しないもんだから、1990年発売のスーパーファミコンは買ってもらえない状況になってしまいました。

やすす

家で遊べないのでスーファミを持っている友達の家に行くのが日課でしたね。

そして、考えたのが…

「僕は塾に行って勉強したい!」

はい、どーしても欲しかったんです。

ゲームのために勉強やったるわ〜!ってことで塾に通い始めるのでした。そして、ゲームをやりたい一心で勉強をしたところ、成績がぐんぐん上がり、5年後ついにスーファミをGETするのです。

最初に買ってもらったソフトは、1995年発売の「ロックマン7」。嬉しかったなぁ。

Vtuberさんのプレイ動画です。

そこから再びどハマりするのですが、勉強をやらないとゲームができない状況になるとわかっていたので、そこそこの成績をキープしつつ、ゲームに熱中するという策士っぷりを発揮します。

やすす

勉強の定義が「ゲームをするため」ってところがズレてます…

高校時代

高校はそこそこの進学校に合格。

ただ、馴染めずに全てのやる気を失っていく時期でした。携帯を買ってもらったこともあり、自分で電話をして休む、サボりを覚えてしまい、不良ではないものの、不真面目の代表みたいな感じでした。

成績もみるみる下がっていき…

  • 入学時 → 先生から国公立をすすめられる
  • 卒業時 → 先生からFランをすすめられる

当時は1日を乗り切るのが精一杯で、余程つまらなかったのか、高校時代の記憶ってあんまり残ってないです。

やすす

そんな中でも仲良くしてくれた一部の友人と、小中時代の友人にはホントに感謝してます。

大学時代

予備校時代

両親に申し訳ない気持ちがあったものの、浪人の道を選ばせてもらいました。

今の成績のまま進学したら人生終わり!くらいの気持ちがあって、高校3年分を予備校1年で取り戻そうと決意しました。

この選択が良かったのは…

  • 予備校には小中時代の友人がいた
  • 安心して勉強に取り組めて成績UP
  • ゲームへの熱意が戻ってきて充実

息抜きと題してゲームもしてましたね。

ヾ(°∇°*) オイオイ

やすす

やっぱり環境って大事です。マズローの欲求5段階説にもあるように、安全や安心が保たれた状態でないと、自己実現のための勉強なんて捗らないと思います。

大学1〜2年時代

大学は関関同立に進学しました。

MARCHも合格していたのですが、なんとな〜くキャンパスの雰囲気に惹かれたのと、1人暮らししたかったので関西に行っちゃおう!ということで選びました。

そして、大学1年で運命の出会い…

ラグナロクオンライン(RO)

友達の家に遊びに行ったとき、韓国版のROを遊んでて、うぉー!なにこれ、ちょー面白そうじゃん!と一瞬で引き込まれました。

その後、タイミング良く、日本のβ版が始まったので、そこからはもうRO三昧です。寝るとき以外は全てを捧げてたので、たぶん1日20時間くらいやってましたね。

って大学行ってなーい…

ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

ここからオンラインゲームにどハマりして、ROがメンテナンスでできないときは、ボンバーマンオンラインをやる徹底っぷり。

他にも天上碑、テイルズウィーバー、ハンゲームなどなど、いろいろ遊んでたなぁ。

懐かしの動画がありました。

やすす

あまりに大学に行かないもんだから友人が心配して家に来るほど…

大学3〜5年時代

はい、ゲームしすぎて留年しました。

ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

そして、このまま廃人生活を続けたら人生終わる!と気づき、ROのアカウントを削除するという強硬手段にでます。

今考えると本当に消して良かった…
(たぶん残ってたら復帰してました)

ということで、ここからは勉強もそこそこやりつつ、バイトに明け暮れる日々が始まります。バイトは1年のときにちょろっとやった家庭教師ぶりで、勤務系は初めての挑戦でした。

そのとき選んだのが…

リゾートホテルのベルボーイ

このチョイスは良かったですね〜。

同世代の仲間がたくさんいたのと、当時リーダーを務めていた30代の社員さんが熱い人で、働き方や生き方について多くの学びを得られました。

やすす

最終的にアルバイトは掛け持ちしたりで、家庭教師、ユニクロ、ブックオフなどでお仕事をさせていただきました。

大学で一番勉強したのは5年生。できる友人は就職または大学院へ、残ったのはワタクシをはじめ、怠惰な留年組。自分でやるしかない!ってことでがんばるポンコツっぷり。

就活もがんばりました。

とはいえ、特にやりたいこともなかったので、偏差値ランキングの上から全て挑戦していくスタイル。確か2ヶ月くらいガチでやって、1日も空きがないくらい、説明会と面接をぶっ込んでましたね。

関西在住だったので大阪中心でしたが、新幹線で東京、高速バスで四国とかにも行ってて、どうせ働くからバイトで貯めたお金は全て使ってOK!というルールを設定してました。

新卒時代

国内最大手のSIerに採用決定。

我ながら奇跡だと思います。

大学の友人からは…

「やすす、ホームラン打ったやーん!」

「やっぱ口で乗り切ったんかぁー!」

とか言われました。

はい、どうやらワタクシ口が達者なようでして、、、うま〜くゲーム廃人で留年した歴史を、アルバイトで頑張った歴史に置き換えてアピールしたのが良かったようです。

なんですが…

入社がゴールになっていて社畜へ

もともと強い想いがあったわけでもなく、働きたいと思っていたわけでもなく、社風がやったもん負け!みたいな風潮だったこともあり、最低限の仕事をこなすだけの社畜ライフが始まります。

やすす

仕事はそんな感じなので、ここからはプライベートの話が中心です。

20代中頃まで

スノーボードにどハマりしました。

大学時代からやってたんですが、社会人になり自由にお金が使えるようになったので、あれこれグッズを揃えながら年間30〜40日くらい雪山に行ってましたね。

当時はゲームの代わりがスノボーで、スノボーのために仕事をしてた感じです。月80時間残業とか激務だったんですが、それでも11〜3月の週末はほぼ全て滑りに行ってました。

で、体が壊れます…

なんと関節リウマチにかかっちゃいました。

20代男性でかかる割合は0.03%で、10,000人に3人しかいないのに、その1人になってしまったのです。そして、スノーボードができないどころか、全身が痛くて歩くことすらままならない状態に。

やすす

たぶん無理しすぎたんでしょうね。この加減を知らずにやりすぎるところがポンコツたる所以です。

20代後半まで

治療を続けながら働く暗黒時代。

人生で一番キツかったかもしれません。

全身が痛いので、お年寄りより歩くのが遅いくらい、ゆっくりゆっくり歩いて会社に行き、なんとか仕事をこなして帰宅する。ほぼうつ状態でした。

治療の流れは…

  • 飲み薬 (リウマトレックス)
  • 自己注射(エンブレル)
  • 点滴  (アクテムラ)

この点滴に出会うまでが長かった。

リウマトレックスは副作用で吐き気がすごいし、エンブレルは自分で針を刺すのが怖くて上手にできないし、、、詳しくは以下にまとめております。

そんな苦しい中での生きがいは…

やっぱりゲームでした。

旧FF14、ガンダムオンライン、タルタロスオンライン、チョコットランド、RO(国際鯖)など、仮想世界に生きてました。

やすす

お金の心配がなかったのが救いでしたね。

30歳前後

月1回の点滴で復活。

現在の主治医とアクテムラの点滴治療に出会い、劇的に生活が改善しました。

身体が動くって素晴らしい!

ようやく人生が戻ってきたところで、たまたま社内研修で出会った同期に誘われるがまま、謎のバーベキューに参加。ここでウェーイな人脈ができて、今度は合コンにどハマりしていきます。

やすす

当時は毎週のように合コンを主催してましたね。年間で50回くらい開催してました、、、って再びやりすぎ事件。

ただ、それもあってか、妻と出会います。

厳密には合コンではないのですが、主催した合コンでカップリングして結婚した友人がいまして、その友人に誘われて参加したイベントで知り合いました。

なんですが…

パートナーを得て強気になったのか、ここで10年働いた会社を辞める決断をします。

俺はノマドになる!とか言ってました。

ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル

ニート時代

年収800万から0円になりました。

しかもこの状態で結婚しちゃうんだからポンコツの極みと言えます。妻には会社員に戻った今、少しずつ恩を返しています。

そして、よく聞かれるのが…

「なんでそんな大企業を辞めたの?」

ずばり、理由は大きく2つです。

1つは通勤をはじめとした非効率な働き方への不満が募っていたこと。リモートワークは今でこそ当たり前ですが、コロナ前の当時はほとんど導入されていませんでした。

もう1つは仕事に前向きなれない自分が嫌いだったこと。働いても働かなくても給料は同じ、そんなマインドでなるべく仕事をしないように過ごす日々に嫌気がさしてました。

したがって、理由をまとめると…

  • 場所を選ばない働き方をしたかった
  • 環境を変えて自分を変えたかった

こんな感じになります。

どちらかとうと、後者の影響が大きかったかもしれません。というのも、直接的な要因となったのは、直近の仕事が暇すぎて考える時間ができたこと。

客先常駐だったのですが、パソコンの電源ON、30分くらい働く、定時までボケー、電源OFFという毎日が3ヶ月くらい続いて、頭がおかしくなりそうでした。

やすす

いや〜、10年も働いてて、どんだけポンコツなんだって話ですね。当時は「仕事=お金をもらう手段」という認識だったので、貯蓄もそこそこあるし辞めちゃお!くらいの軽い気持ちでした。

だがしかし!

人生そんなに甘くなかった。

とりあえず、某アフィリエイト教材を片手に、Webサイトやらブログをつくって、見よう見真似でやり始めてみたものの、収益はほぼ0。正真正銘のニートになっちゃいました。

派遣時代

3年ほど売れないブロガー、低収益のアフィリエイターを続けたところ、ものすご〜い勢いで貯金が減っていくのをみかねて、派遣でのダブルワークを決断します。

徒歩圏内にあるデータセンターにて、運用監視オペレーターの夜間業務に従事。これがメチャクチャきつかったです。アラサーってか、ほぼアラフォーの体にはちょ〜堪えました。

ただ、この決断は良かったです。

なぜかというと…

追い込まれないとやらないから!

もともと仕事に前向きになれない自分を変えたくて、環境を変えてみたものの、長年で染み付いたマインドはなかなか変わらず、そんな本気でやってなかったですよね。

ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

ここからは夜勤の合間を縫って…

  • 有名ブロガーの書籍を読む
  • 有名ブロガーの発信を見る
  • 有名ブロガーの教材を買う

という感じでインプットに力を入れ、これまでは楽しければいいっしょ!遊んでたら賢者になれるっしょ!って好き勝手に書いていたブログを徹底的に見直しました。

そして、アウトプットを続けたところ、収益がぐんぐん伸びていき、5ヶ月で派遣を辞めることを決断。そこからさらに力を入れ、気づけばアフィリエイトで生活できるレベルに到達しました。

やすす

このときが一番ノってたかもしれません。当時の状況は以下にまとめております。

アフィリエイター時代

ただ、アフィリエイトで生活していけたのは、長く見積もっても2年くらい。収入は安定せず、すぐに貯金が減っていく生活に逆戻りしました。

いろいろ理由はあるものの…

  • アフィリエイトが不向きだった
  • ステマ規制で逆風の時代に突入
  • 生成AIの登場で参入障壁が低下

ざっくりこの3つです。

ノマドスタイルで働けることや、時間の自由が利くことから、アフィリエイトしかない!と思い込んでましたが、自分には向いてなかったかなぁと感じます。

個人的な観点になりますが…

アフィリエイトは結構情弱ビジネスです!

したがって、正義感の強い人や、モラルや道徳などの倫理を重んじる人には不向きだと思います。

やすす

おすすめまとめの某有名サイトですら、専門家監修とか書いてて、中華系のヤバい商品をごりごりに紹介してたりしますからね。

まぁ、そんな認識だからダメなんですが。

ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

会社員時代(再び)

あっ、こんなにイケメンじゃないです。

ヾ(°∇°*) オイオイ

ということで、40歳で会社員に戻りました。

派遣を除くと転職は初めて。

こんなポンコツなやつを雇ってくれる会社があるのかと、初めは不安を抱えていたものの、少しずつ感覚を掴めていけた気がします。

転職エージェントさんにフォローしていただき、お決まりの失敗しながら学ぶスタイルで、試行錯誤しながら進めたところ、なんとか2ヶ月ほどで内定をいただけました。

やすす

因みにこの2ヶ月は転職活動しかしてません。条件が良くないことを自覚していたので、全ての時間を投下できる優位性を最大限に活かしました。

ざっくりの流れなこんな感じ。

  • 緩めの会社で一次通過も適性検査落ち
  • 厳しめの会社の一次でぶちのめされる
  • 企業分析から自己分析にシフトチェンジ
  • 一次落ちが3社続いたあと最終選考2社
  • 希望条件に完全一致の内定にておしまい

とりあえず、失敗しないとわからんタチで、適性検査に落ちてからSPIの勉強を始め、一次面接でフルボッコにされてから自己分析に力を入れるというズレっぷり。

ただ、最終的には奇跡が起きました。

  • フルリモート勤務
  • SIer時代の年収維持
  • 副業OK、自由な社風

いや〜、ありがたいです。<(_ _)>

やすす

マジで神かよ!って思いましたね。このあたりの詳しい話は、別記事にまとめようと考えています。

第二の会社員生活は「自分にできることを全力でやる」をテーマに掲げています。あとは自由に楽しくも忘れていません。ワタクシとは切り離せないマインドです。

Yasusu blogについて

さて、自分語りが長くなっちゃいましたが、ここから少しだけブログの話をしていきます。

始めに当ブログの運営目的ですが…

ズバリ、ただの趣味です。

もともとはブログやアフィリエイトで一旗あげようと挑戦していたので、PVや収益を追い求めていましたが、今となってはそれも過去の話。

会社員に戻った現在は、副業の位置づけではあるものの、特に数字は気にしていません。とはいえ、伝えたいことがあるにはありまして。

ざっくり言語化すると…

  • 遊び人から賢者を目指すリアルな体験談
  • 失敗しても何度でもやり直せることの証明
  • FF14やゲーム好きさんと繋がれたら嬉しい

大企業サラリーマンを続けていれば、もっと安定した人生を送れたし、今より収入も多かったと思います。ただ、今ほど活き活きと会社員で働くことはできなかったでしょう。

ニート、派遣、フリーランスでの経験が「ポンコツな遊び人Lv1」から「ちょっとマシな遊び人Lv5」くらいまでレベルアップさせてくれたと実感しています。

やすす

苦労をかけ続けた妻にだけは頭が上がりませんが…

ということで目標は、ドラクエで言うところの「遊び人Lv20」から「賢者」への転職です。その過程を自由気ままに書き綴るのがYasusu blog。そんな位置づけとなります。


以上、

プロフィールとブログについてでした。

もし、ここまで読んでくださった、もの好きな方がいらっしゃいましたら、心より感謝を申し上げます。

((o(・∀・`o)ドモドモ(o´・∀・)o))